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カロル2世 (ルーマニア王) : ウィキペディア日本語版
カロル2世 (ルーマニア王)[かろる2せい]

カロル2世(、1893年10月15日 - 1953年4月4日)はルーマニア国王(在位:1930年6月8日 - 1940年9月6日)。
1936年に発行された1000レウ紙幣の透かし部分に肖像が使用されていた。
== 生涯 ==

ルーマニア国王フェルディナンド1世と、ザクセン=コーブルク=ゴータ公アルフレートの長女マリアの長男として、ペレシュ城で誕生した。ルーマニア正教会信徒として洗礼を受けたルーマニア王家最初の人物である〔King Carol II 〕。
1914年、成年に達したとされルーマニア上院議員となった〔"Ce citeau românii acum 68 de ani?" , ''Ziua'', November 29, 2007.〕。カロルはその指導者としての手腕よりも、異性関係がむしろ有名だった。1918年8月31日、オデッサでジョアンナ・マリー・ヴァレンティナ・ランブリノ(ジジ・ランブリノ)という平民女性と結婚した。この結婚は王室法に反するものだった。2人の間にはカロルという子が生まれたが、1919年のイルフォヴ裁定によって結婚は無効とされた。
1921年3月10日、アテネギリシャ王女エレーニ(ルーマニア語名:エレナ・ア・ロムニエイ)と結婚した。しかしこの結婚は、カロルとマグダ・ルペスクの醜聞ですぐに破綻した。ユダヤ系ルーマニア人でカトリック教徒のマグダは、ルーマニア軍士官の元妻であった。醜聞の末に、カロルは1925年12月28日に王位継承権を放棄する声明を発表、1927年7月にエレナ王妃との間の子ミハイがミハイ1世として即位した。1928年、カロルはエレナと正式に離婚した。この頃には、カロルは別の愛人で当時まだ高校生だったマリア・マルティーニとの間に一男一女をもうけていた。これらの醜聞の数々のため、カロルは好色の君主として知られるようになった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「カロル2世 (ルーマニア王)」の詳細全文を読む



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